望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。(ローマ人への手紙12章12節)
1.エペソ人への手紙6章18節-19節
2.コロサイ人への手紙4章2節ー9節
3.ヘブル人への手紙5章7節ー10節
4.ペテロの手紙第一2章4節ー8節
ヨハネの手紙第一5章14節に「何事でも神のみこころに従って願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」とありますが、神が望んでいるのは、すべての人が救われるだけでなく、真理を知るようになることですので、家族や友人、知人、近所の方々の救いのために祈るとともに、真理のみことばを知り、みことばに生きることを願う祈りはみこころにかなっていることなので、神はすぐにその願いがかなえられるように思いますが、人によって、すぐにかなえられる時とそうではない時があるのではないでしょうか。すぐに願っている祈りが実を結ばないと、悪魔は火矢を放つために、自分の祈りは聞かれないのではないか、祈っても無駄なのではないかのような思いに駆られ、失望して祈ることをやめてしまいたいような境地に追いやられることがあるのではないでしょうか。そのような時、信仰のゆえにさまざまな試練に会い、死を覚悟するほどの迫害に会いながらも同胞のユダヤ人はじめ人々の救いのために、キリスト者のために祈られた祈りの人であったパウロが「「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」と勧めているように、ソロモンが「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた、しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。(伝道者の書3章11節)」と語っているように、主の時があることを思うとともに、キリスト者が忍耐を身につけて成熟した完全な者となるために主は訓練されることを心に据えて、私たちの信仰がなくならないように罪に定められないように祈っていてくださる信仰の完成者であり、私たちの主人であられるイエス様に期待して祈り続けようではありませんか。