知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。(詩篇100篇3節)
1.イザヤ書43章1節―7節
2.イザヤ書46章5節―13節
3.コリント人への手紙第一6章19節―20節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節
イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたがたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。」と話されると、ニコデモが「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入ってうまれることなどできるでしょうか。」と尋ねたので「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」と仰せられましたが(ヨハネの福音書3章1節ー7節)、御霊はイエス様を信じる者に与えられるので(ヨハネの福音書7章39節)、行いによるのではなく、イエス様を信じれば新しく生まれることになります。ですからパウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と語っています。キリスト者になっても時折、主のもの、主の民とされていることを、主の牧場の羊、すなわちこの世で生きていますが、世に属するのではなく主が守り育んでくださっていることを忘れてしまわないように今日の聖句は、私たちの主こそ神であること、私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊であり、聖霊の宮とされているということを、主の栄光を現す者とされていることを心に据えて(コリント人へに手紙第一6章19節―20節)、十字架の死をもって私たちが受けるべき罪の罰を受けてくださった主が喜ばれるように生きようではありませんか。