祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6章7節―8節)

1.ヨハネの福音書3章16節―17節
2.ローマ人への手紙 8章27節ー39節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.ヤコブの手紙4章1節ー4節

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエス様は「ひとりのやもめの女性が『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言って来ても、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官は取り合わないでいたけれども、ひっきりなしにやって来てうるさいので裁判をしてやることにしよう。」というたとえ話をされてから「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。」と仰せられたのですが(ルカの福音書18章1節―8節)、その意味を履き違えてしまうと、自分の願いがかなうまでいつも同じ事を繰り返し、繰り返し祈るようなことをしてしまうのではないでしょうか。ヤコブの手紙4章3節は「願っても受けられないのは自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」と、ヨハネの手紙第一5章14節は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」と語っています。人類に一番必要なのは罪や死の解決を与えてくださったイエス様でした。今日の聖句「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」をしっかり握って、心と思いが守られるように、私たちの願っていることが本当に必要なものなのかどうかは神がご存じであることを忘れずに、願ったり、祈ったりしようではありませんか(ピリピ人への手紙4章6節―7節)。