あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩篇139篇3節)
1.ルカの福音書22章31節―27 節
2.ヨハネの福音書21章1節―19節
3.ローマ人への手紙8章28節―39節
4.コリント人への手紙第一10章1節―13節
サウルはダビデを非常に愛していたにもかかわらず(サムエル記第一16章21節)、ペリシテ人との戦いに勝利して帰還した時、女性たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と笑いながら繰り返し歌ったために、サウルは非常に怒り、不満に思って「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と言って、その日以来、ダビデを疑いの目で見るようになり、ダビデを殺害することが彼の人生の目的のようになってしまったのですが(サムエル記第一18章6節―11節)、主は常にダビデを守られたにもかかわらず、ダビデは自分のいのちを愛して主に拠り頼むよりも、敵であるペリシテ人の陣地に逃げ込めばサウルの手から守られると考えてペリシテ人の地で生活していたのですが、アキシ王からイスラエルとの戦いに参戦するように求められたのでした。そこにはダビデが祈られた記事はありませんが、主は他の首長たちを用いて参戦しなくてすむようにされたので、自分たちが住んでいたツイケラグ帰ってみると略奪隊によって町は焼かれ、家族も全て奪われてしまっていたのでした。サウルではなく民がダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは主に立ち返り略奪隊を追うべきかを尋ねると、主が「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と仰せられたように、すべてを取り戻しただけでなく、アマレク人たちがペリシテ人やユダの地から奪った分捕り物も手にしたのでした(サムエル記第一27章1節及び29章p―30章)。今日の聖句「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」はそのダビデのことばです。ペテロや弟子たちが主を捨てても、主はペテロの信仰がなくならないようにとりなして祈られましたし、死からよみがえられた主はご自身の方から弟子たちにご自身を現わされたのでした。今日の聖句を心に留めて、ダビデのように自分の考えで行動してしまうような時でも主は決して見捨てることをされない方であり、かえってとりなしていてくださる方であることを忘れずに、主に拠り頼んで生きるようにしようではありませんか。