信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)
1.マルコの福音書5章25節―34節
2.ルカの福音書7章3節―7節
3.ヨハネの福音書4章39節―42節
4. ヨハネの福音書5章33節―44節
この世の人々は、神の存在を潜在的に知っていても、パウロが「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、這うもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章22節―23節)」と語っているように、自分たちの考えにそってさまざまな偶像を造り、それを神としたり、世全体を支配している悪魔や悪霊の力を受けている人々を教祖として崇拝することを信仰深く敬虔なことと考えがちちですが、パウロは「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。」と、信仰はキリスト・イエスとの関係においてもたらされることを語っています。ヘブル人への手紙11章6節が「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」と勧めているように、長血をわずらった女性はイエス様のことを聞いて「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」という信仰が生まれ、百人隊長もイエス様のことを聞いて病気で死にかけていたしもべのためにイエス様のもとに友人たちを遣わされ「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれえば、私のしもべは必ずいやされます。」と伝えた百人隊長の信仰を喜ばれたのでした。主がどのような方であるかを忘れずにヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしなさい」と勧めているように、死からよみがえられ、信仰を完成してくださる恵みとまことに満ちておられる主をいつも思って生きようではありませんか。