義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブの手紙3章18節)
1.イザヤ書61章10節―11節
2.マタイの福音書5章38節―48節
3.ルカの福音書2章1節―18節
4. ヘブル人への手紙12章2節―11節
今日の聖句に「義の実を結ばせる種」とありますが、パウロは自分の義、とキリストを信じることによって与えられる神の義があることを語っています(ピリピ人への手紙3章9 節)。ところで、自分の義に生きていた時のパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対するべきだと考えてキリスト者を迫害していたように(使徒の働き26章9節―12節)、平和をもたらすよりもかえって敵意という実を結ばせてしまうのではないでしょうか。数年前、テーマが「平和」という主題で仏教のさまざまな宗派の高僧やお坊さんが集う宗教対話協議会で、主人は演奏とキリスト者の立場から話したそうですが、主人の後で講演された大正大学の星野先生はマタイの福音書5章39節と44節「悪い者に手向ってはいけません。あなたの右の頬(ほお)を打つような者には、左の頬も向けなさい。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」を引用されて「平和はキリストそのものであり、キリスト以外にはありません。」と興味深いことに「キリスト教」と言わずに「キリスト」と言われたそうです。イエス様は、種を神のことばと仰せられました(ルカの福音書8章11節)。ですから、「義の実を結ばせる種」は、神のことば、すなわち御国の福音、和解の福音であり、それは神との平和をもたらしてくださったイエス様によってまず蒔かれ、キリスト者にも委ねられた働きであることを語っているのではないでしょうかコリント人への手紙第二5章18節)。クリスマスのこの時期、多くの方が福音を受け入れられますように祈ろうではありませんか。