総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。(ネヘミヤ記8章9節)
1.ルカの福音書15章1節―7節
2.ルカの福音書19章1節―10節
3.使徒の働き2章22 節―47節
4.ヘブル人への手紙4章12節―16節
今日の聖句は「「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。」と語っているのは、ヘブル人への手紙4章12節が「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と語っているように、イスラエルの民の心が刺されたからではないでしょうか。今日の聖句の後「『あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です』レビびともまたすべての民を静めて、『泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない』と言った。」とあります(ネヘミヤ記8章10節―11節)。キリスト者になったからといって過ちを犯さない人はひとりもいないのではないでしょうか。良心の咎めを受けるような時、自責の念を覚えるような時、自らを罪に定めて悲しむのではなく、今日の聖句を思い起こして、聖別された日であることを感謝し、十字架の恵みを覚えて主を喜んで主からの力を得て主をほめたたえて生きようではりませんか。