ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。(テモテへの手紙第一5章24節―25節)

1.詩篇37篇1節―13節
2. 伝道者の書12章13節-14節
3.マタイの福音書25章31節―46節
4.ヨハネの福音書5章24節―29節

このところ国会議員やオリンピックに関わった方々の不正行為が暴かれて大臣を辞任したり、逮捕されたりする報道がなされる一方、サッカー選手たちが清掃を手伝ったり、更衣室がきれいに掃除されていただけでなく折り鶴がおかれていたという麗しい報道がなされていますが、今日の聖句は「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」と、報道されなくてもやがてすべてが明らかにされる時が来ることを語っています。知恵の心と判断うる心を神から与えられたソロモンはこの世のさまざまな分野を探索した結果、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と勧めるとともにその理由として「神は、善であれ悪であれ、すべて隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節―14節)」と、パウロも「主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。」と語っていますが、「そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」と驚くべきことを語っています(コリント人への手紙第一4章4節―5節)。その根拠は、キリスト者の全生涯の罪や過ちに対する罰をイエス様がすでに支払ってくださっているからではないでしょうか。イエス様は「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)」と約束されましたし、私たちの信仰がなくならないように、罪に定められないようにとりなしておられることを忘れずに、主を誉めたたえて生きようではありませんか。