あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(イザヤ書48章17節)
1.イザヤ書55章6節―13節
2.マタイの福音書6章27節―34節
3.マタイの福音書11章28節―30節
4.ヨハネの福音書14章1節―6節
今日の聖句は「あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」と私たちが信じている神がどのような方で、どのようなことをしてくださる方であるかを語っています。私たちが信じている神は人の手によって造られ、目があっても見えず、口があっても話せず、足があっても歩くことができず、東大寺では八月七日に大仏を清掃するように、人に世話をしてもらわなくてはならないような方ではなく、死を招くことになった罪や死の恐怖から人類を贖うことのできる全く汚れのない聖なる方であり、目には見えませんが罪を犯させるように、悪の道に導く空中の権をもつこの世の神である悪魔や悪霊でなく、すべてのことを教え導いてくださる御霊をお与えくださる神であることを心に据えて、願いがなえられないと失望したり、自分の祈りや信仰に力がないのではないか、と願いがかなえられない理由を探りがちですが、パウロがいやしを願ってもその願いがかなえられなかったのは高ぶらないためであること、すなわち罪を犯さないためであったことを悟らされたのは「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と仰せられた主の教えによるものではないでしょうか。主は私たちにとって益となる道へと導かれ、最善をなしてくださる方であることを、私たちの失敗さえも益としてくださる神であることを、罪や死、生まれながらの自分から贖われていることを忘れずに主の教えであるみことばで生きるようにしようにしようではありませんか。