イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
1.マタイの福音書5章13節―16節
2.ヨハネの福音書1章1節―5節
3.使徒の働き26章2節―20節
4.ヨハネの手紙第一2章7節―11節
今日の聖句は律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕らえられた女性に対して「モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねたので、イエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と仰せられると年長者から初めて民衆はみな去ってしまったのですが、それは自分にも罪があること自覚したからではないでしょうか。すなわちイエス様のことばによって心に光がさしたのでしょう。パリサイ人や律法学者は「こういう女」と言ったのですがイエス様が「婦人よ。」と声をかけられ「あの人たちはどこにいますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」と尋ねると彼女が「だれもいません。」と答えたので、イエス様は「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられてから、そこに残っていたパリサイ人や律法学者に対して「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられたのですが、そこにはイエス様が「あなたがたは世界の光です。(マタイの福音書5章14節)」と仰せられたように、キリスト者が生きるべき道をも示されたのではないでしょうか。光がないと恐れにみまわれますが、光は安心や暖かさを与えてくださいます。ヨハネの福音書1章4節は「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」とイエス様について語っています。生きるために必要な人の光であるイエス様から目を離さず、主が仰せられたように世界の光として輝くためにいのちのことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。