あすのことを誇るな。一日のうちに何か起こるか、あなたは知らないからだ。(箴言27章1節)
1.伝道者の書9章11節―12節
2.マタイの福音書6章27節―34節
3.ルカの福音書12章13節―21節
4.ヤコブの手紙4章13節―15節
ソウルで153人の方が亡くなられた中に日本人二人を含む外国人の方が26名で37人の方が重症との報道にすべての人が驚愕したのではないでしょうか。人は翌朝目がさめて生きることが当たり前のように生活していますが、伝道者の書9章12節は「人は自分の時を知らない。悪い網にかかった鳥のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。」と、今日の聖句は「あすのことを誇るな。一日のうちに何か起こるか、あなたは知らないからだ。」と語っています。今は色々祈ってから最後に「イエス様、今日もありがとうございました。」と主に感謝して就寝していますが、六十歳になった頃、「主よ。私は明日目が覚めて生きるのでしょうか。あなたのみこころがなりますように。」と、度々祈って就寝したことを思い出しました。イエス様は「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」と語ってから「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。(マタイの福音書6章27節及び33節―34節)」と、日常生活に必要な必需品だけでなく、いのちも神にかかっていることを話されましたが、それは主の祈りにも見られることです。イエス様は神の国を見るため、御国に入るためには御霊によって新しく生まれることが必要であることをはなされましたが(ヨハネの福音書3章3節―7節)、御霊はイエス様を信じた者に与えられますし、神の義もイエス様を信じる者に神から与えられるものであり(ピリピ人への手紙3章9節)、復活をもって死に勝利されたいのち、すなわち永遠のいのちが与えられていることを忘れずに、今日も明日も主の御手の中にあることを感謝し、主からの平安を得て生活するようにするとともに、ご遺族の方々の救いのために祈ろうではありませんか。