腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。(ルカの福音書12章35節)

1.エレミヤ書1章4節―19節
2.エレミヤ書13章1節―11節
3.コロサイ人への手紙3章7節―14節
4.エペソ人への手紙6章10節―17節

腰が痛むと歩くことが困難になり、痛みがひどくなると寝たきり状態になり何もできなような状態に陥ってしまうように、腰は非常に大切な部分です。サタンは神をのろうことを意図としてヨブを試みましたが、彼は子どもたちをはじめすべての物を失っても、悪性の腫物で苦しんでも神をのろうことをせず、サタンに勝利しましたが、悔やみを言って慰めようとヨブを訪ねた三人の友とは論争を巻き起こすような状態に陥ってしまったのですが、主はヨブに「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。」と二度ほど仰せられたのでした(ヨブ記38章3節及び40章7節)。確かに柔道などを見ると、帯をしっかり締めて戦い、帯が緩むとそれを締め直して競技が続けられます。エレミヤ書13章1節―11節において、帯はイスラエルの民と神との関係を意味したものでしたが、その関係が良くない状態に陥ったのは、水に浸す、すなわちこの世と調子を合わせたことによることを語っています。パウロは悪魔の策略に陥らないように真理の帯を締めるように勧める(エペソ人への手紙6章14節)とともに、キリストが私たちを赦してくださったように互いに赦し合うように勧めてから、「愛(アガパオ=神の愛)を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(コロサイ人への手紙3章13節―14節)」と語っています。イエス様は「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。」と仰せられました。恵みとまことに満ちておられ、真理の方であり、神の愛を十字架で示されたイエス様との関係をしっかり保ち、詩篇119篇105節が「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と語っているように、みことばをなおざりにしないで、みことばに生きるようにしようではありませんか。