何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙第一5章14節)

1.ヨハネの福音書9章24節―33節
2.ヨハネの福音書15章3節―7節
3.ヤコブの手紙4章1節―4節
4.ペテロの手紙第一3章9節―12節

聖書には神が聞いてくださる願いや祈りと聞いてくだされない願いや祈りがあることを語っています。イエス様は、たとえ話しをもって「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようでないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と自分を誇るような態度で祈らないように忠告されましたし、悪い動機で求めるなら願っても受けられないことをヤコブの手紙4章5節は語っています。ところで、パウロはサタンの使いによってもたらされた肉体に与えられた一つのとげを去らせてくださるように三度祈りましたが、その願いがかなえられなかったのは高ぶらないためであること、神の力が現されるためであることを悟りました(コリント人への手紙第二12章1節―9節)。今日の聖句「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」を心に据えて、願いや祈りの結果は主の御手の中にあるという確信をもって祈ろうではありませんか。