私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(詩篇4篇1節)

1.詩篇4篇3節―8節
2.詩篇23篇1節―6節
3.詩篇138篇6節―8節
4.ヨハネの福音書16章24節―33節

イスラエルの民は多くの奇蹟を体験して神の力を、神の偉大さを目にしていたにもかかわらず、約束の地を探りに行った者たちの中に、そこに住む民がみな背の高い者たちであるのを見て「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と民に告げた者がいたため、民は大声をあげて叫び、一晩泣き明かし、翌日、民は「エジプトの地で死んでいたらよかったのに、できれば、この荒野で死んだ方がましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」とパニック状態に陥ってしまいましたが、ヨシュアとカレブは探って来た地は乳と蜜の流れるすばらしく良い地であること、主にそむかないように、主が私たちとともにおられるのだから、その地の人々を恐れないように勧めたのですが、民は二人を石で打ち殺そうとしたのでした。思いがけない出来事に遭遇したり、試練にあって苦悩したりするとき、イスラエルの民のように主を忘れると、想像力を働かせて空想の世界を生み出し、否定的な思いに駆られ、眠れないような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。ダビデが「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」と語っているように、苦しんでいる時にこそ、静まって祈ることによって神との交わりが深くされる中で、主がどのような方であるのかを思い起こすなら、この世が与えることのできない平安やゆとりが心に与えられるのではないでしょうか。私たちの主はすべてを益とすることができる偉大な神であることを忘れずに、主を信じ、主を信頼して生きようではありませんか。