主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二12章9節)

1.ヨシュア記1章1節―9節
2.コリント人への手紙第二13章1節―6節
3.ピリピ人への手紙4章12節―13節
4.テモテへの手紙第二2章1節―8節

第三の天にまで、パラダイスにまで引き上げられたパウロはサタンの使いによってもたらせているとげを去らせてくださるように三度も祈られたのでした。しかし、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と、彼の願いを主は聞いておられないかのような答えでしたが、パウロは主のことばを素直に受け入れて「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで私の弱さを誇りましょう。」と告白されましたが、パウロが願いがかなえられなかった理由を「高ぶらないため」と告白しているように、高ぶりの罪を犯さないようにする神のご配慮があることを悟られたのでした。神の力は復活によって明らかにされました。パウロはテモテに純粋な信仰が宿っていることを確信しています、と語ってから「ですから、私はあなたに注意したのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせなさい。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(テモテへの手紙第一1章5節―7節)」と、さらに「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(テモテへの手紙第二2章1節)」と、御霊はどのような方かを、キリストによって実現した恵みを思い起こすように励ましています。ヨシュアに主が三度も「強くあれ、雄々しくあれ」と仰せられたことから、彼がいかに恐れや弱さの中におられたかがわかりますが、主は弱さや恐れの中に埋もれるのではなく、どこにおいても主がともにいることを忘れないように仰せられたのでした(ヨシュア記1章5節―9節)。弱さを誇ることは、自分の弱さの中に留まるのではなく、かえって主は私たちの弱さを担ってくださる方であることを思い起こし、主を仰ぎ見て主からの力や知恵をいただこうではありませんか。