私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです。(ヨハネの福音書1章16節―17節)
1.歴代誌第二20章1節―25節
2.詩篇136篇1節―26節
3.ローマ人への手紙5章17節ー 21節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節
キリストを信じることによって与えられる神の義を、行いによって人は救われるのではなく恵みによるものであることを知ったパウロは、安息日に会堂で「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ人々。よく聞いてください。」言って、イスラエルの歴史を語るとともに十字架の死と復活を語り「モーセの律法によっては解放されることのできないすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」と、この方、すなわちイエス様のことを話されるとともに多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちに、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧告されたのでした(使徒の働き13章15節―43節)。ところで、旧約聖書には「主の恵みはとこしえまで。」ということばが多く見られます。詩篇118篇1節―4節はユダヤ人も祭司も神がどんな偉大な方であるかを知っているすべての人に「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。さあ、イスラエルよ、言え『主の恵みはとこしえまで』と。さあ、アロンの家よ、言え。『主の恵みはとこしえまで』と。さあ、主を恐れる者たちよ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と。」と、勧めています。ヘブル人への手紙13章8節は「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」と語っています。イエス様はキリスト者が罪に定められないようにとりなしておられますし、私たちの行いによってキリスト・イエスにある神の愛がなくならないことを(ローマ人への手紙8章34節ー39節)、今日の聖句「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです。」を心に据えて、弱さを覚える時パウロがテモテに「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」と勧めているように、恵みによって救われていることを、主はどんなことも益としてくだることを感謝して生きようではありませんか。