あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(コリンと人への手紙第一6章20節)

1.イザヤ書43章1節―7節
2.コリント人への手紙第二12章1節―10節
3.エペソ人への手紙4章16節―24節
4.ピリピ人への手紙2章6節−11節

「十字架のことばは、滅びる人々には愚かであっても救いを受ける私たちには、神の力です。(コリント人への手紙第一1章18節)」と、十字架の意味を知る者となったパウロは「あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」と、キリスト者は神の栄光を現すために生きるべきであることを、そのためにはどれほどの代価が支払われたかを考慮すべきであるかを語っています。ところで、パウロは肉体に与えられたとげを去らせてくださるように三度祈りましたが、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」が主からの答えでした。そのおことばの中に栄光を現す秘訣があるのではないでしょうか。イエス様はご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と、祈ると、天から「わたしは栄光をすでに現したし、また、もう一度栄光を現そう。」と声があったように(ヨハネの福音書12章20節―28節)、イエス様はご自身を十字架に捧げたられたことによって救いを完成されただけでなく、神の栄光を現されたのでした。自分の弱さを覚えるとき、自分に失望したり、苦悩したりせずに、イエス様の生涯を思い起こし、主が神の力を与えようとされていることを、神の栄光を現そうとされていることを、主のものとされていることを思い起こし、イエス様がご自身を父なる神にゆだねられたように、私たち自身を主にゆだねようではありませんか。