弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。(ルカの福音書6章40節)

1.
2.ヨハネの福音書13章12節―17節
3.ピリピ人への手紙2章3節―16節
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

イエス様は弟子たちに世の人々のような生き方をしないように仰せられてから、「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と仰せられただけでなく(マタイの福音書20章20節―28節)、当時、足を洗う仕事は奴隷の仕事であったにもかかわらず弟子たちの足を洗われてから「わたしがあなたがたのしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示しました。(ヨハネの福音書13章15節)」と仰せられました。パウロもキリスト者はイエス様を見習って生きるべきであることを語っています(ピリピ人への手紙2章4節―5節)。イエス様は「自分の敵を愛しなさい。・・天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くありなさい(ルカの福音書6章35節ー36節)。あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい(マタイの福音書5章48節)」と仰せられました。ところで、ペテロの手紙第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、語っています。イエス様は人としてこの世におられたとき、御子であられるのにもかかわらず、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされたことをヘブル人への手紙5章7節―9節は語っています。私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしまったりしないように、信仰の完成者であり、恵みとまことに満ちておられる私たちの師であるイエス様がどのように歩まれたかを、恵みによって救われていることを、神に愛されていることを忘れずに生きようではありませんか(ヘブル人への手紙12章2節―11節)。