主はいつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。(詩篇25篇8節)
1.詩篇16篇10節―11節
2.イザヤ書30章15節―21節
3.ミカ書4章1節―2節
4.ヨハネの福音書14章1節―6節
箴言12章16節は「愚かな者は自分の道を正しいと思う。」と、箴言14章12節と箴言16章235節は「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死である。」と、詩篇16篇10節―11節は「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」と、二つの道があることを語っています。今日の聖句が「主はいつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。」と語っているように、イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と、天国への道を示されたのでした。この世にはさまざまな教えが、キリスト教界においても人間の知恵である心理学に見地から聖書を解釈されておられる方がおられますが、パウロが「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおりに信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。(コロサイ人への手紙2章7節―8節)」と勧めているように、人の教えに惑わされないように信仰の完成者であり、信仰がなくならないように祈っていてくださるキリスト・イエスにつく者として(ガラテヤ人への手紙5章24節)、純粋なみことばで生きるようにしようではありませんか。