主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章25節―26節)

1.出エジプト記14章1節―14節
2.ヨシュア記6章10節―20節
3. 詩篇62篇1節―5節
4.イザヤ書30章15節―18節

予定外、想定外のことが起こるとパニック状態に陥り、思わぬことばを口にしますし、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と告白したにもかかわらず、心に恐れが生じると、主を知らないと三度言ったペテロのように信仰がなえてしまうようなことがあるのではないでしょうか。しかし、ペテロがどのような状態に陥るかをご存知であった主は彼の信仰がなくならいように祈られたのでした(ルカの福音書22章31節―34節)。モーセは恐れの中にいる民に「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。(出エジプト記14章14節)」と、ヨシュアも主からエリコ陥落させるために与えられた戦術を執行するために「私がときの声をあげよと言って、あなたがたの叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。(ヨシュア記6章10節)」と命じ、民がそれを守ると主が勝利を与えられたのでした。ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・黙っているのに時があり、話をするのに時がある。・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない(伝道者の書3章1節、7節、11節)」と語ってから「神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。(伝道者の書5章2節)」と勧めています。パウロは何が良いことで神に受け入れられるかを知るように勧めています(ローマ人への手紙12章2節)。今日の聖句に「主の救いを黙って待つのは良い」とあります。単に黙って静まるのではなく、主がどのような方であるかを思い返すとともに主の時があることを心に据えて、主を待ち望んで生きようではありませんか。