神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(テモテへの手紙第一2章4節)

1.ヨハネの福音書14章1節―6節
2.ヨハネの福音書17章9節―17節
3.エペソ人への手紙4章17節―24節
4.テモテへの手紙第二2章23節―25節

福音を語った使徒たちを大祭司たちが殺そうとしたとき「あの人たちから手を引き放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたは彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」と人々を説得したガマリエルのもとで学ばれたにもかかわらず、パウロはキリスト者を、教会を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロは「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでsにたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。キリスト・イエスは、罪人のためにこの世の来られたということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。(テモテへの手紙第一1章13節―16節)」と語るとともに「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。」と警告するようになり(ピリピ人への手紙3章2節)、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と、神の願いを知る者になられたのでした。神が願っておられるように救われたことに安住するだけでなく、真理を知る、すなわち、真理そのものであり恵みとまことを実現してくださったキリストを、真理のみことばを深く知り、キリストに、みことばに生きるように心がけようではありませんか。