民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である(詩篇62篇8節)
1.マタイの福音書26章36節―46節
2.ローマ人への手紙11章33節―12章3節
3.ピリピ人への手紙4章6節−7節
4.ヘブル人への手紙5章7節―10節
パウロはキリスト者に「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。(ローマ人への手紙13章11節―12節)」と、救いが、昼が近づいている、ということは主の再臨がいつなのか正確にはわかりませんが、主の再臨、携挙に向かって、時が刻まれていることを(テサロニケへの手紙第一4章15節―17節)、その一方で夜がふける、すなわち夜が深まり夜中になるように、世全体を支配しているサタンの働きが強まり、イエス様を売ったユダのように悪魔に使われる反キリストが現れてイスラエルの民を惑わすような時代、黙示録6章から始まる全世界が今まで見たことのないほどの大患難時代に突入することを示唆しているのではないでしょうか。ペテロは「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)」と勧めています。イエス様は使徒を選ぶにしてもひとり山に上って祈られ、ご自身がどれほどの苦しみを受け十字架にかけられ殺されることもご存知で心を神の御前に注ぎ出してゲッセマネの園で、十字架にかけられたときにも「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたように、絶えず父なる神に祈られたたことを忘れずに、今日の聖句が「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」と勧めているように、状況がどうであろうと主権者は神であることを心に据えて、主を信頼して私たちの心のうちをすべて正直に主に申し上げて祈ろうではありませんか。