私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(詩篇104篇34節)
1.ネヘミヤ記8章1節―10節
2.詩篇19篇12節―16節
3.コリント人への手紙第一2章7節―12節
4.ピリピ人への手紙4章4節―7節
ヨハネの手紙第一5章14節が「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する確信です。」と語っていますが、神のみこころにかなう願いをするためには、今日の聖句が「私の心の思いが神のみこころにかないますように。」と祈っているように、心の思いが神のみこころにかなうものとなるなら、私たちの願いは神の願いと一致することになるのではないでしょうか。神のみこころにかなった願いをされた時のソロモンは主を愛しておられたのでした(列王記第一3章3節―12節)。ところで、ヤコブの手紙4章3節-4節は「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」と語っています。心と思いがこの世に向かないように、パウロが最もたいせつなこととして伝えられたように私たちの罪のために死なれただけでなく、死からよみがえられて永遠のいのちを明らかにされ、生ける希望を与えてくださった神の愛が注がれていること、恵みとまことを実現してくださったイエス様が聖霊なる神として内住してくださっていることを忘れずに、今日の聖句が「私自身は、主を喜びましょう。」と語っているように主を喜んで主をほめたたえて生きようではありませんか。