みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。(箴言16章20節)

1.詩篇119篇10節―12節
2.ヨハネの福音書15章1節―7節
3.コロサイ人への手紙3章15節―17節
4.ヤコブの手紙1章13節―21節

イエス様が四十日四十夜断食をされたあとで空腹を覚えると悪魔は「あなたが神の子なら、この石がパンになるようにお、命じなさい。」と試みたのですがイエス様は「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と答えられ、みことばをもって悪魔の試みに勝利されたのでした(マタイの福音書4章1節―10節)。キリスト者も悪魔の試みに会うので、パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」と、その武具のひとつとして「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」と、勧めています。剣は身を守るためにも用いられるように、ヤコブは、「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがのたましいを救うことができます。(ヤコブの手紙1章20節―21節)」と、語っています。今日の聖句は「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」と語っています。幸いな人生を歩むために、この世の汚れや悪魔の策略、肉の思いからもたましいが救われるために、この世や人の知恵ではなく、みことばに心を留めるなら、主がどのような方であるかをも知ることができるようになり、主に拠り頼む歩みがしやすくなるのではないでしょうか。いのちのみことばを心に蓄えて生きるようにしようではありませんか。