神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)

1.イザヤ書40章27節―31節
2.使徒の働き1章3節―8節
3.ローマ人への手紙4章19節―5章5節
4.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節

パウロは「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と、神が与えてくださった霊、すなわち御霊の特質は力と愛と慎みであることを、しかもそれは人の知恵や努力によるものではなく、イエス様が「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。もしわたしが去って行かなければ助け主をあなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたに遣わします。(ヨハネの福音書16章7節)」と、昇天される前に「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられたように、恵みによって一方的にキリスト者に与えられているのです。しかし、世全体を支配している悪魔はキリスト者に触れることはできないのですが(ヨハネの手紙第一5章18節―19節)、火矢を放って来るので、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできています。」と申し上げたにもかかわらず三度イエス様を知らないと言ったペテロや「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたろう」と、約束の地を偵察に行った十二人のうちの「主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。」と主を信頼したヨシュアとカレブ以外の十人のように人を恐れて、おくびょうになってしまうような状態に陥ってしまうことがあるのではないでしょうか。おくびょうをもたらす霊、すなわちこの世の霊である悪魔や悪霊の策略に勝利する秘訣をパウロは「信仰の大楯を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」と語っています。キリスト者にはこの世の霊ではなく力と愛と慎みの霊である聖霊が与えられていることを自覚し、人を恐るよりも神がどんな偉大な方であるかを心に留めて慎み、御霊を与えてくださった主を信頼して生きるようにしようではありませんか。