主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)

1.ルカの福音書12章13節―31節
2.コリント人への手紙第二6章1節―10節
3.コリント人への手紙第二8章1節ー9節
4.ピリピ人への手紙4章10節―12節

創世記1章には神が、人が生活できるために必要な光、水、動植物がまず創造されてから最後に人を創造されたことが書かれていますが、それらすべてのものを創造されたのはヨハネの福音書1章3節が「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらないものは一つもない。」と、ヘブル人への1章2節は「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」と、主イエス・キリストによってすべてのものが創造されたことを語るとともに、イエス様はご自身を牧者、すなわち羊飼いと仰せられ「わたしが来たのは、羊がいのち(ギリシャ語のゾーエ、永遠のいのち)を得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます(ヨハネの福音書10章10節)」と、この世が与えることのできない「いのちや豊かさ」を与えるために、死をもたらす罪や悪魔から救うために十字架の死をも受け入れられたのでした。サタンの使いによって与えられた肉体のとげを去らせてくださるように三度願ってもその願いがかなわなかったのは、高ぶることのないためであることを悟ったパウロは「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)」と、心の状態がいかに大切かを語っています。羊飼いは羊を養い守るだけでなく、戦ってくださる方です。恵みによって救われていることを忘れず、主に感謝を捧げるとともに「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」と告白されたダビデのように、主を信頼して生きようではありませんか。