いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)
1.ネヘミヤ記8章1節―12節
2.詩篇68篇1節―4節
3.ヨハネの福音書16章2節ー22節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節―18節
イエス様は「しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしをみます。」と仰せられてから、「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」と仰せられたように、死からよみがえられたイエス様にお会いした弟子たちは迫害にあっても、むちで打たれても、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行ったのでした(使徒の働き5章40節―41節)。復活の主にお会いし、聖霊に満たされたペテロは「愛する者たち、あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。(ペテロの手紙第一4章12節―13節)」と語っています。パウロも獄中にありながらも「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と、「いつも」と、喜ぶことができないような状況下でも喜ぶように勧めていますが、その秘訣は「主にあって」ということばにあるのではないでしょうか。ダビデは「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びをくださいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。(詩篇4篇6節―7節)」と、主によって心に与えられる喜びは、この世の豊かさとは比べ物にならないほどのものであることを語ったのでした。主がどのような方であるかを、主の恵みがどれほどのものであるのかを忘れないようにしようではありませんか。