神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光がほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙 1章5節―6節)

1.コリント人への手紙第一15章39節―49節
2.コリント人への手紙第二3章6節―18節
3.ピリピ人への手紙3章17節―21節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節

いよいよオリンピックが幕を閉じようとしています。羽生選手が涙して「努力しても報われないのですね。」と発言されたのを伺いながら、フィギアスケートのドーピング問題や高木菜那選手が先頭を走っていたにもかかわらず転倒されるなど、オリンピックにおけるさまざまなことを見ながら、「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵のある人のものではなく、また富は悟りのあるひとのものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかみ、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人のこらもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。」と、日の下、すなわち神を認めないこの世には保証がないことを語っている伝道者の書9章11節―12節のことばを思い起こすとともに、全てのキリスト者には栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられること、永遠のいのちが、努力によってではなく十字架の恵みによって永遠の栄光が与えられていることを思い起こしました(ペテロの手紙第一5章10節)。今日の聖句「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光がほめたたえられるためです。」を心に据えて、主をほめたたえるとともに、神の願いはすべての人が救われて真理を知るようになることですから(テモテへの手紙第一2章4節)、羽生選手、ワリエワ選手をはじめひとりでも多くの方々になんとか福音が届くように祈ろうではありませんか。