私たちの聖所のある所は、初めから高く上げられた栄光の王座である。(エレミヤ書17章12節)

1.ヨハネの福音書17章1節―5 節
2.エペソ人への手紙2章1節―9節
3.ヘブル人への手紙1章1節―3節
4.ヘブル人への手紙11章1節―11節

聖所の歴史を見ると、モーセが主から「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すとおりに造らなければならない。(出エジプト記25章8節―9節)」と、言われて造られた幕屋がありますが、やがてソロモンの時代には神殿が建てられ、神殿を聖所とされましたが、イザヤ書8章13節―14節が「万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。そうすればこの方が聖所となられる。」と語っているように、イエス様はユダヤ人たちに「この神殿をこわしてみなさい。わたは、三日でそれを建てよう。」と仰せられ、イエス様はご自身のからだが神殿であることを言われたのでした。イエス様は十字架にかけられる前、ご自身のことを一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と祈られると、父なる神は「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度現そう。」と約束されたのでした(ヨハネの福音書12章24節及び27節―28節)。いよいよご自分の時が来たことを察したイエス様は「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。(ヨハネの福音書17章5節)」と、イエス様は天地万物が創造される前に天におられた方、栄光に輝いておられた方であったことを告白されたのでした。今日の聖句が「私たちの聖所のある所は、初めから高く上げられた栄光の王座である。」と語っているように、イエス様は死からのよみがえりをもって栄光を現されたのち天に昇天され栄光の王座についておられるのです。祈る時、私たちの祈りは、香り良き薫香として天の聖所に届いていることを、十字架につけられたイエス様にではなく、栄光の王座についておられる主に向かって主の名によって祈っていることを心に据えて祈ろうではありませんか。