もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は、真理の御霊です。(ヨハネの福音書14章15節-17節)
1.ヨハネの福音書13章34節―35節
2.ヨハネの福音書14章18節―24節
3.ヨハネの福音書15章9節ー17節
4.ヨハネの手紙第一3章16節―24節
今日の聖句「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は、真理の御霊です。」はイエス様のことばですが、イエス様は神の愛でイエス様を愛するなら戒めを守ることができることを、そして助け主である聖霊が与えられることを弟子たちに語ったのですが、それはパウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている。」と語っているように、神の愛は聖霊によって与えられるからではないでしょうか。ペテロはイエス様から二度、アガパオ、すなわち神の愛でイエス様を愛するかどうかを問われましたが、二度ともフィレオ、すなわち友情としての愛で愛していることを告白したので、イエス様は三度目にはフィレオで愛しますか、と尋ねたので、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛すること(フィレオ)を知っておいでになります。」と答えたように(ヨハネの福音書21章15節ー17節)、自分の愛が神の愛と比べると足らないことを知ったためであったことを思います。すべてのキリスト者には聖霊が与えられているので神の愛も与えられていますが、それでもパウロが心の葛藤を覚えたように、自分の心が責めるようなことを経験するのではないでしょうか。そのような時、神は私たちの弱さをよくご存知な方であることを忘れずにヨハネが勧めているようにイエス様が罪に定められないように祈っていて下ることを感謝して神の御前で心の安らぎを得るとともに(ヨハネの手紙第一3章18節―20節)、神の愛に生きることできるようになるために弟子たちのように御霊の力を注いでいただこうではありませんか。