いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(コリント人への手紙第一13章13節)
1.エレミヤ書31章3節―14節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
3.コロサイ人への手紙3章2節―14節
4.ヨハネの手紙第一4章7節―19節
人はとかく才能や賜物に目や心を向けやすいものですが、イエス様は「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは実によって、彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイの福音書7章15節―18節)」と「わたしはぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません。(ヨハネのd福音書15章5節)」と仰せられました。パウロは賜物にはさまざまなものがあり、それぞれの人に分け与えられているものであることを語った上で「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」と言われました。信仰と希望は神の愛を知ること、すなわち、罪人を救うために御子を人としてこの世にお遣わしになった神を、十字架で罪人の代わりにご自身を捧げられ、神を説き明かしてくださったイエス様を知ることによって、神が愛であることを知ることによって生まれるからではないでしょうか。信仰と希望は神の愛を知ったキリスト者が神を信頼して生きるために欠かせないものであることを、しかも神の愛は聖霊によって与えられていることを忘れずに、赦しに感情や肉の思いとの格闘があり、苦痛を伴いますが、聖霊の実である神の愛に生きれるように十字架を仰ぎ見て、キリストによって一万タラント(全生涯の罪)が赦されていることを忘れずに(マタイの福音書18章15節―35節)、互いに赦しあいながらこの世の人々がご存じない神の愛に生きようではありませんか。