幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。(詩篇40篇4節)
1.詩篇37篇3節―5節
2.箴言3章1節―12節
3.マタイの福音書11章28節―30節
4.ペテロの手紙第一2章4節―8節
イエス様は、キリスト者はこの世に遣わされた者であることを語るとともに、悪い者から守られるように、真理のみことばによって聖別された者として生きるように祈られたのでした(ヨハネの福音書17章14節―19節)。ですから、パウロが「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と、ヨハネが「すべて世にあるもの、すなわち肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅びます。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。(ヨハネの手紙第一2章16節―17節)。私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。(ヨハネの手紙第一5章19節―20節)」と語っているように、神のみこころは御子イエス様を信じることであり、イエス様を信じたキリスト者は滅びる者ではなく、この世が与えることができない永遠のいのちが与えられているのです。ですから、今日の聖句「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」を心に据えて、どんな時にも、この世の神々ではなく、全能の神である主を信頼して生きることができることがどんなに幸いなことであるかを忘れずに生きようではありませんか。