私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.マタイの福音書10章17節―23節
2.コリンと人への手紙第一1章26節ー31節
3.ピリピ人への手紙2章3節ー9節
4.ヘブル人への手紙5章7節ー10節

イエス様を受け入れなかったサマリヤ人に対してヤコブとヨハネが「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」とイエス様に申し上げると、イエス様は彼らを戒められたのでした(ルカの福音書9章51節―55節)。別の時、ヤコブとヨハネが「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」とイエス様に申し上げると、イエス様は「あなたがたは自分が何を求めているのかわかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」と尋ねると、彼らは「できます。」と答えたのですが、なるほどあなたがたは、わたしの杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けます。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」と答えられたのでした(マルコの福音書10章35節―40節)。一方ペテロも、イエス様が「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないようにい、あなたのために祈りました。」と言われたのに「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言ったのですが、イエス様は「鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されたのでした(ルカの福音書22章24節ー34節)。しかし、そのような自分のことしか考えられなかった弟子たちは聖霊に満たされると、分をわきまえる人に変えられたのでした。今日の聖句「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」を心に据えて、他者と比較せず、今与えられている信仰を感謝し、神のご計画を成就するために、神の栄光を現すために、死にいたるまで従順であったイエス様、信仰の完成者であるイエス様のことをいつも思って生きようではありませんか。