神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節―34節)

1.イザヤ書53章4節―12節
2.ローマ人への手紙3章19節―28節
3.コロサイ人への手紙2章11節―14節
4.ヘブル人への手紙10章14節―18節

パウロはキリスト者となったことによって、自分の中に罪があることに気づかされ、苦悩しましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章1節―3節)」と、「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。わたしをさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何ごとについても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中にはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章3節―5節)」と、十字架によって全生涯の罪はイエス様によって取り除かれているので罪に定められるのではなく、称賛が届く、と、驚くべき恵みの深さを語っています。今日の聖句を「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」を心に据えて、父なる神の右に座し、私たちの信仰がなくならないように祈っていてくださる主を仰ぎ見て、パウロが「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があまたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙第一5章16節―18節)」と勧めているように、感謝のいけにえ(詩篇50篇23節)、賛美のいけにえ(ヘブル人への手紙13章15節)をもって主を誉めたたえようではありませんか。