神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)
1.ローマ人への手紙8章3節―15節
2.コリント人への手紙第一2章3節―12節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節―23節
4.ヨハネの手紙第一4章1節ー6節
イエス様は「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は、真理の御霊です。世はその人を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。(ヨハネの福音書14章16節―17節)」と、昇天される前には「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあながたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい(ルカの福音書24章49節)。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤ全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります(使徒の働き1章8節)」と約束されたように、ペンテコステ(五殉節)の日に聖霊がくだり、聖霊に満たされたペテロはもはや人を恐れることなく大胆に福音を語ったのでした。今日の聖句は「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と聖霊のご性質を語るとともに、興味深いことに、おくびょうにさせるのは聖霊ではない別の霊の働き、すなわち世全体を支配している悪魔や悪霊の働きであることを語っています。パウロは「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます(ローマ人への手紙8章15節)」と、「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです(コリント人への手紙第一2章12節)」と語っていますが、悪魔や悪霊はキリスト者に火の矢を放ってくるので、神がどのような方であるかを忘れてしまうと、福音書のペテロのように、人を恐れておくびょうになってしまうような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。そのような時、主の前に慎み、私たちの心にはこの世のものよりも強い主が聖霊なる神として内住しておられることを思い起こすなら、恐れやおくびょうをもたらす霊の働きから解放されるのではないでしょうか。みことばをしっかり握り、御霊に満たされて歩めるように祈ろうではありませんか。