キリストが現れたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。(ヨハネの手紙第一3章5節)
1.ヨハネの福音書1章29節ー34節
2.ローマ人への手紙8章33節ー34節
3.コロサイ人への手紙2章13節ー14節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
人はこの世に生まれてからこの世を去るまですべての人は罪や過失を積み上げながら生きている上に、記憶力があるために、ふと自分の過去の過ちを思い出して後悔の念にかられたり、過去の栄光を思い起こして今の状態を嘆いたりしていると、過去に支配されて、今(現在)に影を落としてしまうようなことがあるのではないでしょうか。ところで、ヘブル人への手紙10章1節―4節は「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。雄牛とやぎの血は、罪を取り除くことができません。」と、いけにえをささげることによって罪は赦されても、取り除かれないために罪意識から解放されないことを語っていますが、今日の聖句は「キリストが現れたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。」と、神は御子イエス様をこの世にお遣わしになったのは罪を赦すだけでなく、罪を取り除くためであったことを語るとともに、キリスト者であるなら、それを知っているでしょう、とヨハネは語っています。過去の思い出が襲って来て、罪意識に悩まされるようなとき、自分で自分を罪に定めるようなことをせずに、記憶が何を訴えようと、全生涯の罪が取り除かれて神の御前に義人とされていることを忘れずに、十字架の恵みに生き続けようではありませんか。