正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。(箴言12章28節)

1.イザヤ書45章22節ー24節
2.ヨハネの福音書5章21節ー25節
3.ヨハネの福音書14章1節ー6節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と、彼らは自分たちを義人と自任していましたが、神に義とは認められないことを語ったのでした。律法による自分の義に生きキリスト者を迫害していたパウロはキリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者となり「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節―24節)」と、いくら自分は義人であると考えても罪人であることを語るとともに、「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と、イエス様は死をもたらす罪から完全に解放して下されるだけでなく、永遠のいのちを与えてくださる方であることを語っています。神は人をご自身に似たものとして創造されたために、人は正義が勝利することを喜びますが、人の正義は自分の考えに基づいているものであり、いつも正しい判断をその正義は、罪のないイエス様をバラバの代わりに十字架につけてしまったように、間違った判断をもたらしたり、罪の代価として死を要求するのではないでしょうか。ところが、今日の聖句は「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。」と驚くべきことを語っています。いのちを与える正義の道は十字架で神の愛を示されたキリストによってもたらされたものであることを心に据えて永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。