あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人への手紙2章8節―9節)

1.ヨハネの福音書1章1 節ー17節
2.使徒の働き15章1節ー11節
3.ローマ人への手紙3章19節ー28節
4.テモテへの手紙第二1章9節ー10節

ひとりの青年が「先生。永遠のいのちを得るためにはどんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねると、イエス様は「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と仰せられると、彼が「どの戒めですか」と尋ねたので、イエス様が「殺してはならない。姦淫してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられると、「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と、答えたので、イエス様が「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについてきなさい。」と仰せられると、彼は多くの財産を持っていたので悲しんで去って行ったのでした。彼は永遠のいのちを求めていましたが、イエス様が指摘された戒めはみな守っていますと豪語し、自分の行いに自信をもって誇っていましたが、結局、隣人よりも自分の財産を愛していたために完全になることができないばかりか、永遠のいのちを、救いを得ることができませんでした(マタイの福音書19章16節―26節)。恵みを実現してくださった方はイエス様おひとりなので、今日の聖句は「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」と語っていますが、世界中の宗教は人間の思想を反映しているものであるために、救いは神から与えられるものではなく、自分の努力や行いによるものである、と説いているのではないでしょうか。恵みを実現してくださった方はイエス様おひとりなので、エペソ人への手紙2章10節は「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と、語っているように、良い行いは救われるための条件ではなく、恵みによって救われていることの証しなのではないでしょうか。キリスト者であっても完全ではないので多くの点で失敗しますが、主は罪に定められないようにとりなしていてくださるのですから、救われているかどうか悩まずに、恵みによって救われていることを喜んで生きようではありませんか。