主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主はあなたに何を求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)
1.詩篇25篇8節ー10節
2.詩篇37篇1節ー4節
3.ホセア書12章6節
4.ルカの福音書11章37節ー42節
パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と語っていますが、今日の聖句は「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主はあなたに何を求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」と、主がその答えを語っています。公義を行うこと、誠実を愛することは日常生活における人間関係に関わることですが、それを実行するために不可欠なことは、神との関係にあることを教えてくださっています。イエス様はパリサイ人に対して「おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜の十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。(ルカの福音書11章42節)」と仰せられたのですが、ではパリサイ人はどのように生きていたかというと自分を義人と自任し、他者を見下すような生き方をしていたのでした(ルカの福音書18章9節―11節)。ソロモンは、「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。(伝道者の書4章1節)」と、「日の下」、すなわちこの世は強い者が権力をもって人々をしいたげており、人々に対する誠実さが失われ、公義が行われていないことを語っていますが、それはまことの神との関係の欠如によるものではないでしょうか。高ぶらずに、主が喜ばれるような人間関係を築くために、いつも主がともにおられることを忘れずに生きようではありませんか。