すると彼らはイエスに言った。「私たちは神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6章28節―29節)

1.マタイの福音書19章16節ー26節
2.ヨハネの福音書1章1節ー13節
3.ヨハネの福音書14章1節ー12節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節

「先生。いつここにおいでになりましたか。」と尋ねた群衆に、イエス様が「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」と仰せられると、彼らは「私たちは神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」と、また金持ちの青年が「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねたように、人はとかく「行い」に注目しがちですが、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と、「行い」以前に、「イエス様を信じる」ことによって神のわざは始まることを話されたのでした。パウロは「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。(テトスの手紙1章15節―16節)」と、神を知っていても神を信じていないと、その行いは神のわざにならないことを示唆しているのではないでしょうか。敬老の日に招かれた教会で集会後、役員の方から「この方は70歳を過ぎておられるのに今もボランテイアをされておられるすばらしい方です。」と紹介された方は「自分のためです。自己満足とぼけないためです。」と正直に告白されました。パウロは「信仰から出ていないことは、みな罪です。」と、食べるのも食べないのも信仰によるべきであることを、信仰と行いとの関係を語っています(ローマ人への手紙14章23節)。イエス様によって与えられている信仰をもって生活しようではありませんか。