主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。(ローマ人への手紙4章25節)

1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー30節
4.ピリピ人の手紙3章1節ー9節

パウロはエペソの聖徒たちにキリスト者になる前の状について、生きていても「自分の罪禍と罪の中に死んでいた者であった。」と語っているだけでなく、ヘブル人への手紙2章14節に悪魔は死の力を持つものである、とありますが、キリストを信じる前は悪魔の支配下にあった(使徒の働き26章18節、エペソ人への手紙2章2節)、という非常にショッキングなことを語るとともに、そのような状態から救うために神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、行いではなく恵みによって救われる道を開かれたことを語っています(エペソ人への手紙2書1節―9節)。ところで、イエス様は弟子たちにご自分がエルサレムに行って、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないこと。すなわち十字架の死と復活について話されたのでした。今日の聖句が「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」と語っているように、パウロが最も大切なこととして伝えたのは、十字架の死だけでなく、死からのよみがえり、すなわち復活でした(コリント人への手紙15章3節―4節)。罪の支払う報酬は死であるため、もし、キリストがよみがえらなかったとしたら、今もなお自分の罪の中にいたのですが(コリント人への手紙第一15章17節)、イエス様が死からよみがえられたことにより、イエス様を信じる者には神の義が与えられ、死に勝利した永遠のいのちが賜物として与えられているのです。悔い改めることは大切ですが、自分で自分を罪に定めることをせず、神から義と認められていることを感謝して生きようではありませんか。