確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。(詩篇96篇15節)

1.ルカの福音書18章1節ー14節
2.ヘブル人への手紙9章19節ー28節
3.ペテロの手紙第二3章1節ー10節
4.黙示録19章11節ー16節

ヨハネの福音書3章16節―17節が「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神は御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と語っているように、イエス様は罪人を救うために、永遠のいのちを与えるために来られましたが、主ご自身が、主が雲に包まれて昇天されるのを見ていた弟子たちに御使いが「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。(使徒の働き1章9節−11節)」と言われたように、再臨される時には、今日の聖句が「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。」と語っているように、ソロモンはこの世を見て「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。(伝道者の書8章11節)」と言われましたが、やがて、主を待ち望んでいる人々や神の民を救うために、ユダヤ人が待ち望んでいたように、彼らを迫害する者たちや国々をさばくために「王の王、主の主」として天の軍勢を引き連れて世に来られるのです(黙示録19章11節―16節)。イエス様は、不正な裁判官とやもめのたとえをもって、選民のために神は必ず正しいさばきをされることを話され、いつでも失望しないで祈るように教えられたのでした(ルカの福音書18章1節―8節)。やがて主は世をさばくために再臨することを、キリスト者はすでに神に裁かれることなく永遠のいのちが与えられていることを(ヨハネの福音書5章24節)心に据えて、詩篇96篇2節―3節が「主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇すしいわざを、すべての国々の民の中で。」と勧めているように、人々の救いのために、福音宣教の働きが推し進められるように祈ろうではありませんか。