何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ人への手紙3章23節)
1.創世記18章1節―5節及びヘブル人への手紙13章1節
2.マタイの福音書20章17節―28節
3.エペソ人への手紙6章6節―7節
4.ピリピ人への手紙2章3節―8節
ヤコブとヨハネが「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」とイエス様に申し上げたことを知った他の弟子たちがヤコブとヨハネのことで腹を立てたので、イエス様は彼らを呼び寄せて「あなたがも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と仰せられたのでした。弟子たちはイエス様から悪霊を追い出す権威を与えられイスラエルの民のところに遣わされましたが、聖霊がまだ下っていなかったので、世の人々と同じような生き方をしていたのでした。しかし、聖霊に満たされたペテロは「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(ペテロの手紙第一4章9節―10節)」と勧めています。気がつかないうちに賜物を誇ったり、うらやんだりするようなことが教会の中に起こることがあるのではないでしょうか。主は自分の能力や富を誇るのではなく主を知っていることを誇るように勧めています(エレミヤ書9章23節―24節)。「足を洗う」というのは奴隷の仕事でしたが、イエス様は神でありながら弟子たちの足を洗われただけでなく、人のため、いや、罪人のためにいのちをも捧げられたのでした。主がどのように父に、弟子たちに仕えられたかを、またイエス様が「私の兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイの福音書25章31節―40節)」と仰せられたことを忘れずに、今日の聖句が「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ人への手紙3章23節)」と勧めているようにいつもキリストのことを思って実践しようではありませんか。