あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちを不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ人への手紙2章13節―14節)

1.ヨハネの福音書5章21節ー24節
2.ローマ人への手紙6章7節―23節
3.コリント人への手紙第一44節―5
4.エペソ人への手紙21節―9

パウロは「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができなきからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。・・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ人への手紙7章18節20節及び24節―8章1節)」と心の葛藤を覚え悩み、救いを求め、その答えがキリストにあることを語っています。イエス様は十字架上で「完了した」と、罪の贖いが完了したことを宣言されたのでした。それゆえ、ヘブル人への手紙10章14節は「キリストは聖なるものとされる人々を、一つささげ物によって、永遠に全うされたのです。」と同章17節―18節は「『わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。』これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。」と語っています。人はこの世を去るまで罪を積み上げるため、後悔するようなことをたくさん抱えてしまいますが、今日の聖句を心に据えて、主に立ち返るために悔い改めることは大切ですが、自分を自分で裁いて罪に定めたりするようなことをせず、一生涯の罪や咎、後悔するようなことも十字架で解決されていることを感謝し、主の恵みに生き続けようではありませんか。