もしキリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

1.ローマ人への手紙617節―23
2.エペソ人への手紙第一21節―9
3.ヘブル人への手紙214節―16
4.ヘブル人への手紙101節―1節―18

パウロは「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけでなく。けれども、私たちの国籍は天にあります。(ピリピ人への手紙3章17節―19節)」と、地上のことよりも国籍が天にあることを自覚して生きることを勧めています。世界には数えきれないほどの宗教がありますが、それらは人の知恵や世全体を支配している悪魔がエバに語りかけたように「神からの託宣」などと言って人々を惑わすような教えを背景とする処世術であり、この世が与えることのできる希望はさまざまな状況によって消えてしまうものですが、ペテロは、イエス様が死者の中からよみがえられたことによって、生ける希望を持つ者となり、「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰は信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章21節)」と語っているように、罪の解決、天国に確実に行けるという保証はキリスト以外にないことは明白です。ですから、パウロは人々に伝えるべき最も大切なことは十字架の死と復活であることであり(コリント人への手紙第一15章3節―11節)、「もしキリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と、キリスト者の信仰はむなしいものではないことを語っています。数年前、大分で女性の牧師先生から、大分県のキリスト者は迫害の中にあっても復活信仰をもっていたこと、当時、世の人々はその意味がわからず、「成仏できないのではないか」とか「何か悪いことがおこるのではないか」と考えて、キリスト者を処刑した処刑場の隣にはお寺があることを話してくださいました。私たちは死んだらそれでおしまいでも、死んだらどうなるのだろうか、というような不安を抱えて生きる者でもなく、死を超えてなお私たちを御手の内に守り導いて下さる方を、主が死からよみがえられたことによって死をもたらした罪が取り除かれている恵みの中に歩む者とされていることを心に据えて、むなしいとも思わずに偶像崇拝や祖先崇拝をしておられる方々の心の目が開かれ、主に立ち返ることができるように祈ろうではありませんか。