主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたはこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます(詩篇139篇1節―3節)
1.エレミヤ書17章9節―10節
2.ルカの福音書11章14節―23節
3.ヨハネの福音書2章23節―25節
4.ヨハネの福音書21章15節―19節
パウロは「いったい人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。(コリント人への手紙第一2章11節」と語っていますが、今日の聖句は「主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたはこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます. あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます」と、人は他者の心を読んだり、知ることができませんが、主はすべての人の行いや心と思いだけでなく、「私の道をことごとく知っておられます」と、どのような人生をおくるかもすべてご存知であることを語っています。主はエジプトで苦悩しているイスラエルの民をエジプトの手から救い出して、広い良い地、乳と蜜の流れる地に導かれましたが、出エジプト記13章17節は「さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。『民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。』それで神はこの民を葦の海(紅海)に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた・」と、主は民の心をご存知で、近道ではない道に導かれたのですが、彼らは多くの奇蹟を体験し神がどのような方であるかを知りながらも、自分の思いや欲、感情に支配されると、事あるごとに神を忘れ、エジプトを懐かしんだのでした。パウロは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節―7節)」と語っています。毎日コロナの感染者や死亡者の数、悲惨な状況が報道されていますが、思い煩ったり、心配したり恐れるよりも、永遠のいのちが与えられていることを感謝し、コロナ禍の中で苦悩しておられる政治家や医師、世界中の人々がコロナにかからなくても、健康であっても、人は必ず死ぬことを認識するだけでなく、永遠のいのちを与えてくださる主を求める心が人々に与えられるように祈ろうではありませんか。