目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙42節)

1.詩篇50篇1節ー15節及び23節
2.マルコの福音書1432節―38
3.ピリピ人への手紙44節―7
4.テサロニケへの手紙第一5章16節―18節

イエス様はいつでも祈るべきであり、失望してはならないために、ひとりのやもめが、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官とのところにやって来ては「私の相手をさばいて、私を守ってください。」と言ってくるので、「私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがないから。」と、たとえを持って話されてから「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」と話されましたし(ルカの福音書18章1節―8節)、ゲッセマネの園で眠ってしまっていたペテロに「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです(マルコの福音書14章38節)」と、仰せられたのでした。そのペテロは「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)」と勧めています。ヤコブは、神は誘惑するような方ではなく「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。(ヤコブの手紙1章14節)」と、誘惑に陥る原因を、エバとアダムが悪魔の誘惑に陥った原因が欲にあったのではないでしょうか。パウロも眠りからさめ、肉の欲のために心を用いないように勧めています(ローマ人への手紙13章11節―14節)。悪魔の誘惑に陥らないで目をさましてたゆみなく祈る秘訣を今日の聖句の「感謝をもって」ということばに見ることができるのではないでしょうか。恵みによって救われ、永遠のいのちが、信仰が与えられていることを、どんなことがあっても、たとい自分の心が責めるようなことがあっても御前で安らかにされることを(ヨハネの手紙第一3章18節―20節)、キリスト・イエスにある神の愛から引き離されることがないばかりか、すべてのことを益としてくださる神が私たちの神であることを感謝して、神のみこころが地でもおこなわれますように祈り続けようではありませんか。