そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。(イザヤ書35章8節)

1.詩篇7713節―20
2.イザヤ書4314節―19
3.ヨハネの福音書14章1節ー6節
4.黙示録21章9節―27節

イエス様は「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」と仰せられてから「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と天国への道について、またその道はイエス様ご自身であることを語られました(ヨハネの福音書14章1節−4節及6節)。ところで、十字架にかけられたイエス様が「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げた犯罪者に「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰せられたように(ルカの福音書23章30節―43節)、今日の聖句が「今日の聖句は「そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。」と語っているように、御国へと導いてくださる道は聖なる道であり、行いによるのではなく、恵みとまことに満ちておられるイエス様を信じた時から、この世や人の知恵では理解できない聖なる道を歩む者とされているのです。その道中、この世と調子を合わせて過失を起こしても、そのことを事前にご存知な主がとりなしていてくだるだけでなく、主に立ち返り聖なる道を歩むことができるようにお導きくださる御霊が与えられていることを感謝するとともに、伝統の名のもと、偶像崇拝や祖先崇拝を「敬虔」と考えておられる方々、永遠のいのちを知らずに恐れの中におられる方々の心の目が開かれ、十字架と復活の意味を知ることができるように、良い牧者であるイエス様を信じる信仰が与えられますように祈ろうではありませんか。