ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。(コリント人への手紙第一2章12節)

1.ローマ人への手紙319節―26
2.ローマ人への手紙6章17節―23
3.エペソ人への手紙3章7 節ー19節
4.ヨハネの手紙第一5章5節―13節

パウロはエペソの聖徒たちにキリストを信じる前の状態について、「あなたがたは自分の罪過と罪の中で死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら怒りを受けるべき子らでした。」と、神は罪を見過ごすことはなさらない方のゆえに生まれながら神の怒りを受けるべき子であったことを語ってから、あわれみ豊かな神は愛と恵みをもって、イエス様を受け入れた者を、キリストとともに生かしてくださっているだけでなく、「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」と、また、今日の聖句が「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」と語っているように、人を恐怖に陥れるようなこの世の霊やこの世から贖い出してくださり、「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともにあかししてくださいます。」と語っているように「アバ、父」と呼ぶことができる神の御霊を与えてくださり(ローマ人への手紙8章15節―16節)、この世が与えることのできない平安や人の力や知恵では得ることのできない特権を与えてくださったのでした。イエス様はイエス様を殺そうしているユダヤ人に対して、「あなたがたは悪魔の子」と言われましたが、キリスト者は「神の子」とされているのです。この世と調子を合わせてしまうと、この世を支配している霊の働きである恐れに支配されて、正しい判断ができなくなってしまうのではないでしょうか。恐れが襲って来た時にこそ、神の力、神の知恵であるイエス様を見上げるとともに御霊によって「アバ、父」と呼びかけて祈ろうではありませんか。