わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。(マタイの福音書5章17節)

1.出エジプト記201節―17
2.マタイの福音書2234節―40
3.ヨハネの福音書3章16節ー18節
4.ヨハネの福音書12章20節ー28節

イザヤが「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを固く立て、これを支える。今よりよこしえまで、万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」と預言されたように(イザヤ書書9 章6節-7節)、イエス様は聖霊によってマリアの胎に宿り人としてこの世に御降誕されたのでした(ルカの福音書1章35節)。律法の専門家がイエス様を試そうとして「先生、律法の中で、大切な戒めはどれですか。」と尋ねると、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と答えられたのは、十戒の内容ですが、出エジプト記20章1節―11節は、まず神との関係について、次の12節―17節は人間関係に関することが書かれています。ですから、イエス様はまず神との関係を語ってから人間関係について語ったのでした。今日の聖句「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」は、イエス様のことばです。イエス様は、ゲッセマネで苦しみながら父のみこころがなされるように祈られただけでなく、十字架につけられたとき「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなされて、十字架の死にまで従われて神の愛を示されるとともに人に対する愛をも示されたのでした。みことばに生きる秘訣は神の愛に生きることであり、しかも、みことばはパウロが語っているように恵みに満ちていることを心に据えて(使徒の働き20章32節)、みことばで生きるようにしようではありませんか。